学習院大学に皇族が通うのはなぜ?皇族離れの理由は偏差値なのか調査!

皇族が通う学校として知られる学習院大学。
天皇陛下や秋篠宮様も幼稚園から大学までずっと学習院に通われました。
ところで、なぜ皇族は学習院に通うのだろうと思われたことはありませんか?
しかし、最近は秋篠宮様の長女・眞子様、次女・佳子様のICU(国際基督教大学)への進学に象徴されるように、皇族が学習院以外に進学し、学習院大学から離れつつあるのも事実。
皇族が学習院に通う理由や、学習院大学から皇族離れが進んでいるのはなぜなのか、偏差値と関係があるのか調査しました。
スポンサーリンク
皇族が学習院大学に通うのはなぜ?
学習院大学に来たよ、愛理ちゃん。
自分も大学に行って夢のようなキャンパスライフを送りたかった。 pic.twitter.com/yKEgiO5env— むっぴー (@airi_champloo) November 4, 2019
皇族と学習院のつながりは深く、天皇陛下や秋篠宮様だけでなく、上皇様やその弟の常陸宮様は初等科(小学校)から大学まで、さらに大正天皇と昭和天皇も専門機関で帝王学を学ぶ前に学習院初等科に入っていたと言います。
以前から皇族はなぜ学習院大学に通うことになっているのか気になっていたのですが、今回、その疑問を解消すべく調べてみることにしました。
すると、学習院の歴史や成り立ちそのものが皇族と深く関係があることが分かりました。
学習院のルーツは華族学校
学習院は江戸時代の1847年、公家の子弟のための教育機関として、京都御所の日ノ御門前に開講し、1849年に「学習院」と名付けられます。
明治時代に入り、版籍奉還が行われると、公家たちは華族と称することに。
1871年、明治天皇から華族に向けて、「国民中貴重の地位にあるのだから一層勤勉に努めよ」とする勅諭が出されたことを受け、1877年に華族学校が東京の神田錦町に開設。
この華族学校の校名を京都時代から継承して学習院とする旨の勅諭があり、現在の学習院はこの華族学校の開設を創立としているそうです。
皇族が学習院に通うことは皇族就学令で決められていた
1926年に出された皇族就学令(戦後に廃止)では「皇族男女ハ(中略)学習院又ハ女子学習院ニ於テ就学セシム」と明文化され、学習院は名実ともに皇族の学校となっていました。
戦後に皇族就学令が廃止されるまでは、皇族は学習院で学ぶことが決まりだったわけですね。
戦後はその縛りがなくなったものの、戦前からのつながりで現在も皇族は学習院に通っているのだと考えられます。
学習院時代に好きだったアイドルをご学友から暴露された天皇陛下については「天皇陛下は山口百恵ファン!柏原芳恵好きを公言したのに新事実発覚!」もぜひご覧ください。
スポンサーリンク
学習院以外に進学した皇族の代表は秋篠宮家
ところが最近、皇族=学習院という公式が崩れつつあります。
学習院からの皇族離れの象徴は秋篠宮家ですよね。
秋篠宮様の3人のお子様は、これからご紹介するように、学習院以外の学校を選んだことで有名です。
秋篠宮家長女・眞子様
【速報】眞子さま(28)、大学院留年yyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy https://t.co/68DOJooD5H pic.twitter.com/6m8ktEF34J
— 転職、就活、投資アンテナ(相互フォロー) (@HhAp3rCmwFTQRZJ) November 11, 2019
- 1995年(平成7年)4月、学習院幼稚園入園。
- 1998年(平成10年)4月、学習院初等科入学。
- 2004年(平成16年)4月、学習院女子中等科入学。
- 2007年(平成19年)4月、学習院女子高等科入学。
- 2010年(平成22年)4月、ICU(国際基督教大学)教養学部アーツ・サイエンス学科入学。
- 2014年(平成26年)9月、英国・レスター大学大学院博物館学研究科入学。
- 2016年(平成28年)9月、ICU(国際基督教大学)大学院アーツ・サイエンス研究科博士後期課程入学。
このとおり、眞子様は幼稚園から高校まで学習院に通われますが、大学はAO入試で合格したICU(国際基督教大学)に進学。
皇族がICUに入学するのは眞子様が初めてでした。
秋篠宮家次女・佳子様
佳子さま「就職せずダンス」
ユーチューバーになる事に期待。
アンドルマスターとしてデビューも面白いかも。
皇室の伝統は素晴らしいと思うけど、
自由に生きたい人は自由に生きてほしい。 pic.twitter.com/f1LZH4tsu8— 柴犬茶トラ (@qN2ka3mHe9xI1Cl) November 11, 2019
- 1998年(平成10年)4月、学習院幼稚園入園。
- 2001年(平成13年)4月 – 学習院初等科に入学。
- 2007年(平成19年)4月- 学習院女子中等科へ入学。
- 2010年(平成22年)4月- 学習院女子高等科へ入学。
- 2013年(平成25年)4月 – 学習院大学文学部教育学科へ入学。
- 2014年(平成26年)8月 – 学習院大学を中途退学。
- 2014年(平成26年)10月 – AO入試でICU(国際基督教大学)に合格。
- 2015年(平成27年)4月 – ICU(国際基督教大学)教養学部アーツ・サイエンス学科へ入学。
- 2019年(平成31年)3月 – ICU(国際基督教大学)を卒業。
佳子様の学歴で興味深いのは、一度入学した学習院大学を退学して、ICUに入り直しているところですよね。
ちなみに佳子様は高校3年時にも学習院以外の大学を受験されたことも明らかに。
こうして姉の眞子様に続き、佳子様の学習院以外のICUで学ぶことにしたのでした。
秋篠宮家長男・悠仁様
成長期の悠仁親王殿下、激変。父親似 | つーか眞子様にそっくり https://t.co/4n3LRRYXQ4 pic.twitter.com/eVpApq7Mm7
— そくほうアンテナ (@fishingtoolsale) November 4, 2019
- 2010年(平成22年)4月、お茶の水女子大学附属幼稚園に入園。
- 2013年(平成25年)4月、お茶の水女子大学附属小学校に入学。
- 2019年(平成31年)4月、お茶の水女子大学附属中学校に入学。
悠仁様の姉の眞子様、佳子様は幼稚園から高校まで(佳子様は大学2年生まで)は学習院に通われましたが、弟の悠仁様は幼稚園から学習院以外のお茶の水大学附属幼稚園に入園し、そのまま小学校、中学校もお茶の水に在籍。
現行の皇室典範の下で皇族が学習院初等科以外の小学校に入学するのは初めてです。
悠仁様が学習院ではなく、一貫してお茶の水大学附属に通われていることで、学習院からの皇族離れを決定づけたと言われています。
スポンサーリンク
学習院大学からの皇族離れの理由は? 偏差値と関係あり?
悠仁くんを、私の弟と誤解している国民が居たわ。
悠仁くんは、眞子と佳子の弟よ。
眞子とは、15歳差よ。 pic.twitter.com/XwMgcTrzbF
— 愛子さま (@aikosamakawaii) April 29, 2019
秋篠宮家に象徴される学習院からの皇族離れはなぜ起こっているのでしょうか?
学習院大学の偏差値と皇族の学力に理由はあるのでしょうか?
学習院大学の偏差値は「みんなの大学情報」によると55.0〜60.0で、眞子様と佳子様が進学されたICUの偏差値は65.0。
学習院大学とICUの偏差値には大きな開きがあることが分かります。
皇族は非常に優秀でしょうから、より高みを目指したかったという可能性もあるのではないかと個人的には思います。
とはいえ、皇族が「学習院の偏差値より学力が高いので、学習院以外の大学に行きます」とは言えませんよね。
学習院大に女神現る佳子様^o^
もう踏みつけてくらさい学習院大いってるやつに隠し撮りしてもらおっと pic.twitter.com/EcFS2G1UzT
— おにちち(横) (@onititi2) April 10, 2013
佳子様が一度学習院大学に入学したにも関わらず、退学してICUに入り直した理由について、宮内庁からは「特に広く教養科目や英語を学びたいというお考えからICUを選ばれた」と説明されました。
眞子様が学習院大学ではなくICUを選ばれたときも、学習院大学の学部の選択肢の狭さがネックになったと言われているそう。
学習院大学の学部は法学部、経済学部、文学部、理学部、国際社会科学部の5学部ですが、国際社会科学部は2016年に新設されたため、眞子様、佳子様が大学に入学された頃は、それ以外の4学部からのチョイスだったわけです。
いくら学習院大学が皇族ゆかりの学校とはいえ、学びたい学部がなければ、積極的に入学したい気持ちにはなれませんよね。
現在、天皇陛下と雅子様の長女・愛子様は学習院女子高等科の3年生で、まさに大学進学を控えています。
ハーバード大学卒業の雅子様を母に持つ愛子様も超優秀だと言われていますから、学習院大学ではもったいない気もしますが、どういった進路選択をされるのでしょうか。
また、悠仁様が通われているお茶の水大学附属も高校は女子校なので、悠仁様が高校や大学でどの学校を選ばれるのかも注目ポイントですね。
ハーバード大学を卒業された雅子様がキャリアを断ち、皇室入りした後のご苦労については「雅子様の不妊症の原因は?2人目を作らなかったのはなぜか調査!」「雅子様に人格否定発言した人や内容とは?秋篠宮様が批判した理由も調査!」もぜひご覧ください。
スポンサーリンク
まとめ
皇族が学習院に通う理由や、学習院大学から皇族離れが進んでいるのはなぜなのかご紹介しました。
学習院は明治時代に華族学校として創立されましたが、1926年に出された皇族就学令(戦後に廃止)では「皇族男女ハ(中略)学習院又ハ女子学習院ニ於テ就学セシム」と明文化され、学習院は名実ともに皇族の学校となっていました。
皇族就学令は戦後に廃止されますが、戦前の名残で皇族が現在も学習院に通うのではないかと考えられます。
また学習院大学から皇族離れが進んでいる理由としては、学部数が比較的少なく(眞子様、佳子様が大学入学された頃は法学部、経済学部、文学部、理学部の4学部)選択肢が少ないことが大きかったと指摘されています。
現在高校3年生の愛子様と中学1年生の悠仁様の大学の進路選択で、学習院離れの行方が決まりそうですね!