【エール】裕一のモデル・古関裕而の実話ネタバレ!六甲おろしも作曲!

2020/04/03
 
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朝ドラ「エール」の主人公は窪田正孝さん演じる古山裕一。

 

裕一のモデルは作曲家(音楽家)の古関裕而(こせき ゆうじ)さんです。

 

公式サイトには「エール」に原作はなく、オリジナル作品だと書かれていますが、モデルの実話はドラマの内容に大きな影響を与えますよね。

 

ということで、阪神タイガースの応援歌として有名な通称「六甲おろし」も作曲した古関裕而さんの実話をネタバレでご紹介します。

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【朝ドラ「エール」】古山裕一(窪田正孝)のモデル音楽家・古関裕而(こせき ゆうじ)の生い立ち

 

朝ドラ「エール」で窪田正孝さん演じる古山裕一のモデル・古関裕而(本名:勇治)さんは、1909年(明治42年)8月11日に福島県福島市で誕生。

 

実家は代々続く呉服店「喜多三(きたさん)」で、裕而さんはその長男。

 

裕而さんの父親・三郎次さんはが音楽好きで、大正時代ではまだ珍しかった蓄音機で浪曲や民謡をかけていたことで、裕而さんも音楽に親しんでいきました。

 

福島県師範学校附属小学校(現在の福島大学附属小学校)へ入学した裕而さんは、小学3年生のときの担任・遠藤喜美治先生の指導で初めて作曲に挑戦。

 

母親・ひささんが買ってくれた卓上ピアノで作曲を楽しむようになり、次第にクラスメイトが詩を持って裕而さんに作曲を依頼してくるようになるほどでした。

 

朝ドラ「エール」で裕一の子役時代を演じるのは石田星空くん!

 

裕一の子役・石田星空くんの読み方やプロフィールは「【エール】裕一の子役・石田星空のWiki!窪田正孝との関係に注目!」でぜひご覧ください。

 

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【「エール」実話ネタバレ】裕一のモデル・古関裕而の福島商業学校・川俣銀行時代~コンクール入賞

 

朝ドラ「エール」の裕一のモデル・古関裕而さんは福島商業学校(現在の福島商業高校)に入学し、当時盛んだったハーモニカバンドの活動に熱中。

 

童謡「赤とんぼ」「待ちぼうけ」などの作曲家・山田耕筰さんの「作曲法」などを買い集め、独学で作曲の勉強を続けていました。

 

卒業後は伯父が経営する川俣銀行(現在の東邦銀行川俣支店)に就職し、プライベートで作曲を続け、山田耕筰さんに楽譜を送って文通を開始。

 

古関裕而さんは20歳だった1929年(昭和4年)に、管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』をロンドンのチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募し、日本人初となる国際的作曲コンクールにおける入賞という快挙を達成したのです。

 

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【「エール」実話ネタバレ】裕一のモデル・古関裕而の結婚~日本コロムビア時代

 

朝ドラ「エール」の裕一のモデル・古関裕而さんは、国際作曲コンクールで入選したことで、思わぬ出会いがありました。

 

後に裕一の妻となる関内音(二階堂ふみ)のモデル・内山金子さん(古関金子さん)が裕而さんの入賞を知り、手紙を送ってきたのです。

 

福島市に住む裕而さんと愛知県豊橋市に住む金子さんの連絡手段は文通のみ。

 

裕而さんと金子さんは文通から恋に発展し、わずか4ヵ月後にスピード結婚!

 

裕而さんと金子さんのラブレターの内容や結婚までの詳細は「【エール】音のモデルは古関金子の実話ネタバレ!文通結婚から乳がんまで!」でぜひご覧ください。

 

裕而さんは金子さんと結婚後、かねてから文通していた山田耕筰さんの推薦で、レコード会社・日本コロムビアに専属作曲家として迎え入れられ、夫婦で上京します。

 

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【「エール」実話ネタバレ】裕一のモデル・古関裕而の戦前~戦時中

 

朝ドラ「エール」の裕一のモデル・古関裕而さんは1931年に早稲田大学応援部の依頼で応援歌「紺碧の空」を作曲。

 

「紺碧の空」は以下からお聞きいただけます。

 

1935年に作曲した「船頭可愛や」は裕而さん初の大ヒットに。

 

「船頭可愛や」は「エール」で柴咲コウさん演じるオペラ歌手・双浦環のモデルとなった三浦環さんが歌ったこともヒットの一因とされています。

 

 

「船頭可愛や」がヒットした翌1936年には「大阪タイガースの歌(六甲颪)」(通称:六甲おろし)を作曲。

 

「六甲おろし」は阪神タイガースファンでなくともよく知られていますよね!

 

ちなみに「六甲おろし」はセ・リーグ、パ・リーグの12球団の中で最古の球団歌だそうですよ。

 

1937年に日中戦争が始まると、裕而さんは「露営の歌」「暁に祈る」「若鷲の歌」などの戦時歌謡を手掛け、自らも中国、シンガポール、ビルマなどの戦地を慰問しました。

 

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【「エール」実話ネタバレ】裕一のモデル・古関裕而の戦後

 

朝ドラ「エール」の裕一のモデル・古関裕而さんは戦後にも数々の有名な曲を作曲。

 

皆さんによく知られている曲としては、高校野球の大会歌「栄冠は君に輝く」でしょうか。

 

曲名だけでは分からない方も曲を聞くと、聞き覚えがあるはずです。

 

また、「エール」の第1回で1964年の東京オリンピックのシーンがあったと思いますが、古関裕而さんが作曲した「オリンピック・マーチ」は東京オリンピックの開会式で使用されました。

 

 

1970年には慶應義塾大学の応援歌「我ぞ覇者 〜慶應義塾大学応援歌〜」を作曲し、ライバル関係にある早慶の両方の応援歌を担うことに。

 

古関裕而さんはフジテレビ系の音楽番組『オールスター家族対抗歌合戦』の審査員を1972年10月の開始から1984年6月24日まで務めましたが、脳梗塞のため、1989年8月18日に80歳で亡くなっています。

 

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まとめ

 

朝ドラ「エール」の主人公・古山裕一(窪田正孝)のモデル・古関裕而さんの実話をネタバレでご紹介しました。

 

古関さんが作曲した阪神タイガースの応援歌・通称「六甲おろし」や、高校野球の大会歌「栄冠は君に輝く」は、おそらくほとんどの日本人が知っている名曲ですよね。

 

そんな偉大な作曲家・古関裕而さんが「エール」のモデルとしてどのように描かれるのか楽しみですね。

 

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