天皇陛下は山口百恵ファン!柏原芳恵好きを公言したのに新事実発覚!

80年代アイドルの柏原芳恵さんファンとして知られていた天皇陛下(今上天皇 徳仁様)ですが、実は柏原芳恵さんより山口百恵さんの方が好きだったことが発覚!
11月10日に放送された「日曜THEリアル!・陛下と雅子さま 知られざる笑顔の物語」で天皇陛下のご学友が明かされました。
とはいえ、いくらファンでも一般人のようにグッズを持ち歩いたりすることはできないのが皇族の悲しいところ。
そのために天皇陛下がされていた涙ぐましい努力がいじらしかったのでご紹介します。
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柏原芳恵ファンとして知られていた天皇陛下
秋の夜長に似合ってるかなと。#柏原芳恵 pic.twitter.com/5DD3c75YOg
— YU @ 宇宙歌謡館 (@koshiyukikenshi) November 5, 2019
天皇陛下は皇太子になられる前の若かりし頃からアイドルの柏原芳恵さんのファンとして知られていました。
というのも、天皇陛下自ら柏原芳恵さんのファンだと公言されていたからなんですね。
1983年、23歳の天皇陛下(当時は浩宮親王)は、オックスフォード大学留学直前の記者会見で「好きな歌手は柏原芳恵さん。『春なのに』がいいですね」と発言。
ちなみに天皇陛下お気に入りの柏原芳恵さんの「春なのに」の動画はこちら。
「春なのに」が発売された1983年、私はまだ生まれておらず、柏原芳恵さんのお名前も聞いたことがある程度でしたが、この曲は知っていたので、有名な曲なんですね!(オリコン最高位は6位)
天皇陛下は1986年10月19日に行われた柏原芳恵さんのコンサート『おんな飛翔』に行かれ、出迎えた柏原さんに東宮御所の庭から切り取った新品種のバラ「プリンセスサヤコ」を一輪プレゼント。
これが当時の画像ですが、柏原芳恵さんが持っている一輪の花が天皇陛下から贈られた「プリンセスサヤコ」なんでしょうね。
— 柏原芳恵大ファン@香港 (@Yoshiefans) November 10, 2019
ここまで公になれば、天皇陛下が柏原芳恵さんファンだということは世間に知れ渡りますよね。
ちなみに、柏原芳恵さんのコンサート前日に、天皇陛下はスペイン王女の歓迎パーティーで初めて雅子様と出会われたそう。
天皇陛下が雅子様を守るために2004年に記者会見で発した「人格否定発言」については「雅子様に人格否定発言した人や内容とは?秋篠宮様が批判した理由も調査!」をぜひご覧ください。
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天皇陛下がファンだと公言していた柏原芳恵のプロフィール
セブンティーン(1982年11月)
柏原芳恵
先行シングル「あの場所から」「花梨」を含む10曲。
日の目をことのできなかった「ハローグッバイ」そして「あの場所から」とアイドル邦楽カヴァー路線は初期の小泉今日子へと引き継がれる。 pic.twitter.com/eEJ3JbsFBg— MA2(まつ) (@mA2_690531) November 11, 2019
ところで「柏原芳恵さんって誰?」という方も少なくないですよね。
私もそうなので、柏原芳恵さんのプロフィールを調べてみました。
柏原芳恵(かしわばら よしえ)さんは大阪府大阪市出身で、1965年10月1日生まれ。
中学2年生だった1979年秋に日本テレビ系『スター誕生!』にて清水由貴子さんの「お元気ですか」を歌って合格。
その後グランドチャンピオンになり、翌1980年に柏原よしえ(後に「芳恵」に改名)の名義で「ちょっと大物、夏ひとりじめ。よしえはNo.1。」をキャッチフレーズとしてデビュー。
天皇陛下もお気に入りだった「春なのに」、「最愛」など、中島みゆきさん作詞・作曲作品を中心に、1981年から1986年の間にトップ10入りした楽曲は18作品。
- 『NHK紅白歌合戦』には2度出場、『日本レコード大賞』には1981年から1987年まで連続出演し、1985年から1987年の3年間は、最優秀歌唱賞部門にノミネートされていました。
1980年代後半は女優としての活動が多くなり、グラビアアイドルの活動も目立つように。
現在は54歳ですが、時々ステージに立たれています。
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天皇陛下が一番好きなアイドルは山口百恵だった! 涙ぐましい努力とは?
と、ここまで柏原芳恵さんファンだと広く知られていた天皇陛下ですが、学習院時代のご学友がおっしゃるには、天皇陛下が柏原芳恵さん以上に好きだったのは山口百恵さんだったとか!
ちなみに皇族は学習院に通うことで有名ですが、なぜ学習院なのか気になったことはありませんか?
皇族と学習院大学の関係や最近の学習院大学からの皇族離れが気になる方は「学習院大学に皇族が通うのはなぜ?皇族離れの理由は偏差値なのか調査!」もぜひご覧ください。
【1976年11月10日の山口百恵さん】
明星編集『もうひとつ百恵』(集英社)が発行になりました。17才の百恵さんの写真などが満載された約150ページの貴重な1冊です。 pic.twitter.com/amNtduHP30— Playback-part3 (@1985halfmoon) November 10, 2019
1973年、中学3年生のときにデビューした山口百恵さんは、シングルは31作の累計で1630万枚、LPは45作の累計で434万枚を売り上げ、1970年代最もレコードを売り上げた歌手という偉業を残しましたが、1980年に三浦友和さんとの結婚を機に21歳の若さで芸能界を引退しました。
天皇陛下は1960年生まれですから、山口百恵さんが活躍していた頃は中学生〜大学生で、まさに青春時代真っ盛りだったんですね。
とはいえ、皇族という立場上、一般人のように気軽に雑誌を買ったり、グッズを持ったりすることはできません。
そこで、天皇陛下が山口百恵さんグッズを手に入れるために考え出した苦肉の策がこちら!
懐かしいネガ収納袋の裏。こちらも山口百恵さん(^_^)今みたいに昔は撮ってすぐ確認出来なかったから昔は現像に出して返ってきて見たらかなり無駄に何枚も撮ってたりブレてたり(^。^;)今はそういう意味ではいい時代になりましたね~ pic.twitter.com/p5faTV1yM2
— 40のあれこれ話 (@tedare40) July 20, 2014
当時、山口百恵さんは富士フイルムのイメージキャラクターを務めており、お店で写真を現像してもらうと、この紙袋に写真とネガが入ってきたのです。
若い方にはイメージつかないでしょうか?
私はギリギリ分かってしまう世代なのですが…
天皇陛下のご学友曰く、天皇陛下はこの富士フイルムの紙袋の山口百恵さん部分をハサミで切り取り、そっと定期入れに忍ばせていたとか。
なんとも涙ぐましくいじらしい努力で、こう言っては失礼ですが、かわいいです。
現代ならパソコンやスマホで好きなアイドルの画像をいくらでも手に入れられますが、そういう時代ではないですからね。
山口百恵さんは1970年代アイドル、柏原芳恵さんは1980年代アイドルなので、天皇陛下のアイドルファン歴は山口百恵さん→柏原芳恵さんという順番で移っていったのかもしれません。
雅子様とご結婚後はお世継ぎ問題にも苦悶されてきた天皇陛下。
天皇陛下と雅子様のお世継ぎ問題については「雅子様の不妊症の原因は?2人目を作らなかったのはなぜか調査!」もぜひご覧ください。
また、そうした過去をご夫婦で乗り越えて、即位パレードに臨まれた雅子様の涙にはもらい泣きする人が続出。
雅子様の涙にもらい泣きした人の声は「雅子様の涙にもらい泣きした人の声を集めてみた!即位パレードに感動!」でご覧ください。
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まとめ
柏原芳恵さんファンとされていた天皇陛下が実は山口百恵さんファンだったという話題をご紹介しました。
23歳のときに記者会見で柏原芳恵さんファンを公言し、コンサートにも出向かれた天皇陛下ですが、ご学友によると、思春期には山口百恵さんファンだったそう。
ただ、皇族という立場上、一般人のように気軽に雑誌を買ったり、グッズを持ったりすることはできなかったため、写真を現像したときに写真が入れられる富士フイルムの紙袋にプリントされた山口百恵さんを切り抜き、定期入れに忍ばせていたということです。
天皇陛下は今はどなたのファンなのか気になるところです!