ノムさん(野村克也)のID野球の意味とは?申し子は誰か調査!

ノムさんの愛称で親しまれた野村克也さんが2月11日に虚血性心不全で亡くなりました。
ノムさんの記事を読んでいると「ID野球」という言葉がよく出てきますが、ID野球とはどのような意味なのでしょうか?
ノムさんのID野球の申し子は誰なのかという話題とともにご紹介します。
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目次
ID野球とは? 意味をチェック!
野村克也さん死去 84歳 「ID野球」でヤクルトを3度の日本一に導いた名将 戦後初の三冠王 #npb #野球https://t.co/q66jwRHYqT
— スポーツナビ 野球編集部 (@sn_baseball_jp) February 11, 2020
ノムさん(野村克也)について調べると、もれなくセットで出てくる「ID野球」という言葉。
野球やスポーツに詳しい方ならすぐに分かるかもしれませんが、そうでないと「ID野球って何?」と疑問に思いますよね。
ということで、ID野球とは、どういう意味なのか調べてみました。
まずID野球のIDとは「Important Data」の略です。
とってもシンプルな意味でしたね!
さらにその詳しい意味を調べてみると、「監督がチームを作り上げていく場合や選手がプレイする場合に、経験や勘に頼ることなく、データを駆使して科学的に進めていくという手段」を指すそう。
ではなぜノムさんはID野球の代名詞となったのでしょうか?
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ノムさん(野村克也)のID野球はなぜ有名に?
野村克也さんお悔やみ申し上げます。
名プレイヤーは名監督にあらずのジンクスを打破し、雑草魂+ID野球で野球会を盛り上げてくれました。少年時代からの多くの感動ありがとうございます。 pic.twitter.com/VvFAyt9zME— 大社長 (@crazy_0525) February 11, 2020
ノムさん(野村克也)と言えばID野球というぐらい、代名詞として語られていますが、なぜノムさんはID野球で有名になったのでしょうか?
ノムさんがID野球を提唱したのはヤクルトスワローズの監督時代(1990年~1998年)です。
ノムさんが監督に就任した当時、ヤクルトは長年にわたって負け越し、Bクラス(4位~最下位)に甘んじていました。
そんなヤクルトの改革を図るべく、ノムさんはID野球を提唱。
監督就任1年目はID野球の成果が出ず、前年の4位を下回る5位に終わりますが、2年目の1991年には3位に上がり、翌1992年にはセ・リーグで優勝、1993年にはついに日本一に輝きました。
さらに、1995年、1997年にも日本シリーズを制し、ヤクルトはノムさんの監督時代にリーグ優勝4回、日本一3回という強豪チームへと変貌を遂げたわけです。
ID野球とノムさん、そしてヤクルトは切っても切り離せない関係なんですね。
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ノムさん(野村克也)にID野球を伝授したのはドン・ブレイザー
ドン・ブレイザー
南海入団当初はすでに35歳と高齢
だったが、メジャー流の守備と頭脳
プレーで日本の野球に順応した。
69年で引退し、野村克也兼任監督の
下でヘッドコーチを務める。
79年に阪神監督に就任した。 pic.twitter.com/ovvYjKNde7— プロ野球歴代選手bot (@yakyuzin_bot) October 12, 2018
ID野球で知られるノムさん(野村克也)ですが、ノムさんにID野球を伝授したのはドン・ブレイザーだと言われています。
ドン・ブレイザーはアメリカのメジャーリーグを経て、1967年に南海ホークスに入団し、選手を経て1970年にヘッドコーチに就任。
そのときに南海の選手兼監督を務めたのがノムさんでした。
ノムさんは監督就任を打診された際に、ドン・ブレイザーのヘッドコーチ就任を監督就任の条件に挙げるほど信頼していたそう。
ブレイザーは試合前のミーティングで、南海の選手が見たことも聞いたこともなかった野球理論や知識を惜しげもなく伝授し、「シンキング・ベースボール」の奥深さを教えたと言われています。
ノムさんはブレイザーについて「考える野球を教えてくれた恩人」と著書で記しており、「自分のID野球の源流はブレイザーにある」と常々語っていたと言います。
ブレイザーなくしては、ノムさんのID野球もヤクルトの躍進もなかったんですね。
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ノムさん(野村克也)のID野球の申し子は誰?
ヤクルトスワローズの監督時代にID野球を提唱し、改革に成功したノムさん(野村克也)。
そんなノムさんの下で鍛えられ、「野村ID野球の申し子」と言われているのは、ヤクルトで選手や監督を務めた古田敦也さんです。
古田氏、野村さんに感謝 ID野球の申し子 (時事通信ニュース) – LINE NEWS https://t.co/37iOenyZTJ #linenews @news_line_meから
— ふむ⚓ (@s115_d718_p69) February 11, 2020
古田さんはノムさんがヤクルトの監督に就任した1990年にドラフト2位でヤクルトに入団。
古田さんの素質を見抜いたノムさんは、前年まで正捕手だった秦真司さんに開幕早々見切りをつけ、古田さんを正捕手に。
「野球は頭を使ってやるんだ。頭を使えば弱いチームが強いチームに勝てるんだ」と叩き込み、試合中に古田さんをベンチで立たせたまま、説教することも多かったと言います。
そんな「野村ID野球の申し子」古田敦也さんは、入団1年目でリーグ1位の盗塁阻止率を記録し、ゴールデングラブ賞も獲得。
ID野球が功を奏し、「ミスタースワローズ」と言われるほどの名選手へと躍進したのです。
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まとめ
ノムさんの代名詞・ID野球とはどのような意味なのか、野村ID野球の申し子とは誰なのかご紹介しました。
ID野球のIDとは「Important Data」の略で、データ重視で科学的に戦術を決める野球のこと。
ノムさんはヤクルトスワローズの監督就任時にヤクルトを改革するためにID野球を提唱し、ヤクルトはノムさんの監督時代にリーグ優勝4回、日本一3回という戦績を残しました。
野村ID野球の申し子と言われるのは古田敦也さんで、ノムさんの徹底的な指導を受けた結果「ミスタースワローズ」と呼ばれる名選手として有名になりました。
野球ファンからも、そうでない人からも広く愛されたノムさんのご冥福をお祈りします。