高嶋ちさ子と高島兄弟(政宏)がテレビ初共演!いとこでも不仲の理由は?

 
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バイオリニストの高嶋ちさ子さんがいとこで高島兄弟(高嶋政宏・政伸)の兄・高嶋政宏さんと8月15日放送の「直撃!シンソウ坂上」でテレビ初共演し、ちさ子さんと政宏さんの食事風景に密着されます。

 

いとこ同士ながら、その関係性があまり公にされず、テレビ共演してこなかった高嶋ちさ子さんと高島兄弟には、不仲説もありましたが、なぜ不仲と言われたのか、理由に迫ります。

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高嶋ちさ子の父・高嶋弘之と高島兄弟の父・高島忠夫が兄弟でいとこ関係に

高嶋ちさ子さんの父で音楽ディレクターの高嶋弘之さんは、高島兄弟の父・高島忠夫さん(2019年6月に老衰で逝去)の弟のため、高嶋ちさ子さんと高島兄弟はいとこ同士にあたります。

 

高嶋ちさ子さんの実家と高島兄弟の実家は東京の同じ区内にあり、車で10分もかからない距離で、かつては両家で頻繁に行き来があったそう。

 

高嶋ちさ子さん自身も「アサヒ芸能」1998年1月15日号で「家が近所だということで、小さいころは、しょっちゅう遊びに行ってました。政宏君や政伸君ともよく遊んだなぁ」と語っています。

 

高島忠夫さん・寿美花代さん夫妻は、1971年1月から1996年3月まで昼の料理番組『ごちそうさま』の司会を夫婦で務めましたが、番組の放送が開始された1971年1月の時点で、高島兄弟の兄・高嶋政宏さんは5歳、弟の高嶋政伸さんは4歳。

 

地方で番組が収録されることもあり、高島兄弟を高嶋ちさ子さんの実家で預かることもあったと言います。

 

ちさ子さんが1995年にCDデビューした際は、“高島忠夫の姪”“政宏・政伸兄弟のいとこ”などと紹介されることも多かったそうですが、ある時期から、ちさ子さんも、高島兄弟も、テレビ共演はおろか、お互いのことを公の場で一切話さなくなったと言い、不仲説がささやかれるように。

 

高嶋ちさ子さんと高島兄弟の不仲説は本当なのでしょうか?

 

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高嶋ちさ子と高島兄弟(高嶋政宏・政伸)はテレビ共演せず不仲説も 

 

前の段落にも書いたように、高嶋ちさ子さんが1995年にCDデビューした際は、“高島忠夫の姪”“政宏・政伸兄弟のいとこ”などと紹介されることも多かったにも関わらず、ある時期から、ちさ子さんも、高島兄弟も、テレビ共演はおろか、お互いのことを公の場で一切話さなくなったそう。

 

不仲説が信憑性を増しますね。

 

2019年6月に高島忠夫さんが逝去された際の高嶋ちさ子さんの対応が、不仲説をさらに印象づけることになります。

 

高島忠夫さんの逝去が公表され、遺族や多くの著名人が忠夫さんを悼む談話を発表する中、新聞社やテレビ局など、多くのメディアが高嶋ちさ子さんに追悼コメントの取材を申し込んだものの、ちさ子さんの所属事務所が応じることはなく、ちさ子さん自身の公式Twitterなどでも、一切コメントが発表されませんでした。

 

それどころか、ちさ子さんの父で、高島忠夫さんの弟である高嶋弘之さんも、ちさ子さん自身も、忠夫さんの密葬に参列せず、弔問にも訪れなかったのだと言います。

 

ちさ子さんの父・弘之さんからすれば実の兄、ちさ子さんからすれば伯父のお葬式に参列しないというのは、なかなかですよね?

 

高嶋ちさ子さん、高島兄弟の個人間の不仲というより、互いの実家同士が不仲だったと考えられそうです。

 

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高嶋ちさ子と高島兄弟の不仲説はなぜ? 原因は寿美花代の上から目線?

 

高嶋ちさ子さんと高島兄弟の不仲説の原因のひとつとして語られるのが、高島兄弟の母・寿美花代さんの発言です。

 

高嶋ちさ子さんの実家も世間から見れば裕福だったのだと思いますが、高島兄弟の実家の裕福レベルは桁違い。

 

当時4歳だった高島兄弟の弟・政伸さんが超巨大トランポリンが欲しいとおねだりし、庭に約6畳のトランポリンを特注で設置したとか。

 

さらに、兄・政宏さんの誕生日に、後楽園球場を手掛けた職人を呼び、約200万円でピッチャーマウンドを作ってもらった上、プロ野球のコーチが指導したなど、高島ファミリーのお金持ちエピソードは枚挙に暇がありません。

 

ちさ子さんも子どもなりに、家の大きさやおやつの内容(高島兄弟は高価なメロン)、すき焼きの肉のレベルなど、自分の家と高島兄弟の家の生活レベルの違いを感じていたと言います。

 

高嶋ちさ子さん、高島兄弟の実家の溝が表面化したのが、ちさ子さんが6歳でバイオリンを始めたとき。

 

寿美花代さんが「(バイオリンを習うには)お金がかかるのに大丈夫なの?」と言ったそう。

 

寿美さんを知るテレビ局関係者によれば、寿美さんは思ったことをはっきり言ってしまう性格で、悪気はないものの、知らず知らずのうちに、相手を傷つけてしまうことがあるのだと言います。

 

これを機に、高嶋ちさ子さん、高島兄弟の実家の溝が広がったと言われています。

 

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高嶋ちさ子と高島兄弟の実家の不仲の理由は他にもあった

 

2019年6月に高島忠夫さんが逝去したときに、高嶋ちさ子さんの父で、忠夫さんの弟の高嶋弘之さんも、ちさ子さんも密葬に参列せず、弔問にも訪れなかったことで、高嶋ちさ子さんと高島兄弟の実家の不仲が浮き彫りになったわけですが、その原因は先ほど書いた高島兄弟の母・寿美花代さんの発言だけではないようです。

 

高島忠夫さんの逝去後に、高嶋弘之さんが「女性自身」の取材に答えた内容によると、高島忠夫さん・高嶋弘之さん兄弟の母親がうつ病になり、1998年に母親が暮らしていた兵庫から東京の医療施設に入れたときに、母親の介護方針を巡って、忠夫さん、弘之さんがひどい口論になったそう。

 

当時は、忠夫さんが不眠とアルコール依存により、重度のうつ病を発症した時期でもあり、弘之さんは忠夫さんの病気の治療の邪魔になってもいけないと連絡を取らず、訪ねることもせず、互いに行き来がなくなり、20年以上経ったのだと言います。

 

2017年に高嶋ちさ子さんの母親が逝去した際も、弘之さんは高島忠夫さん一家に連絡しなかったのだそう。

 

父親同士の不仲が高嶋ちさ子さん、高島兄弟を疎遠にしてしまい、テレビ共演はおろか、いとこ同士であることも公表しなくなったのかもしれませんね。

 

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高嶋ちさ子と高島兄弟は本当は仲良し? テレビ初共演が実現

 

高嶋ちさ子さんと高島兄弟の兄・高嶋政宏さんがテレビ初共演を果たす「直撃!シンソウ坂上」の番組予告には、「(ちさ子さんと政宏さんは)実はいとこ!大の仲良し!」と書かれています。

 

先ほど書いたように、ちさ子さんの父・弘之さんと高島兄弟の父・忠夫さんが不仲になったことで、本人同士は不仲になっていなくても、父親同士の関係性の変化で、疎遠になってしまったのかもしれません。

 

現に、ちさ子さんはTwitterでこんな投稿をしています。

ちさ子さんは政宏さんのことを子どもの頃から「バーブ」と呼んでいるんですね!

 

本当に不仲であれば、こんな投稿はしないのではないでしょうか?

 

さらに、ちさ子さんの父・弘之さんは先ほどの「女性自身」の取材に対して、高島忠夫さんの逝去後に、政宏さんからちさ子さんに連絡があり、「父(忠夫さん)のことが落ち着いたら、叔父さん(弘之さん)のところへもご挨拶に行きますから」と伝えたのだと明かしています。

 

今回の高嶋ちさ子さん、高島兄弟の兄・高嶋政宏さんのテレビ初共演により、不仲説を一蹴して、これからまた、いとこ同士であることを大々的に伝えていけそうですね。

 

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まとめ

 

8月15日放送の「直撃!シンソウ坂上」でテレビ初共演を果たすバイオリニストの高嶋ちさ子さんと、ちさ子さんのいとこで高島兄弟(高嶋政宏・政伸)の兄・高嶋政宏さん。

 

いとこ同士ながら、これまでテレビ共演することもなかった高嶋ちさ子さんと高島兄弟はなぜ不仲と言われたのか、その理由を調べました。

 

高嶋ちさ子と高島兄弟が不仲と言われた理由

 

1995年に高嶋ちさ子さんがCDデビューした際には、“高島忠夫の姪”“政宏・政伸兄弟のいとこ”などと紹介されることも多かったが、ある時期から、ちさ子さんも、高島兄弟も、テレビ共演はおろか、お互いのことを公の場で一切話さなくなったため。

 

高嶋ちさ子の実家と高島兄弟の実家の不仲の理由

 

  1. 高嶋ちさ子さんの実家と高島兄弟の実家には、元々、生活レベルの差があったが、高嶋ちさ子さんがバイオリンを習い始めたときに、高島兄弟の母・寿美花代さんが「(バイオリンを習うには)お金がかかるのに大丈夫なの?」と、上から目線にも見える発言をしてしまった。

  2. 高嶋ちさ子さんの父・弘之さんと高島兄弟の父・忠夫さん兄弟が、1998年に母親の介護を巡って口論になったのを機に、互いに連絡を取らず、行き来しなくなった。

 

今回の高嶋ちさ子さんと高島兄弟の兄・政宏さんのテレビ初共演が、高嶋ちさ子さんの実家と高島兄弟の実家の和解につながるといいですね!

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