山中亮平、ドーピング陽性の原因はあの薬!平尾誠二が励ました理由は?

ラグビー日本代表のワールドカップメンバーに初選出された山中亮平選手は、意外な薬が原因でドーピング検査に引っかかり、ラグビーから離れざるをえなかった過去があります。
そのときに山中選手を励まし続け、力になったのが故・平尾誠二さん。
実は平尾さんは、ドーピングではないものの、山中選手と似たような過去があったのです。
山中選手のドーピングの真相と平尾誠二さんが山中選手を励まし続けた理由をご紹介します。
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目次
山中亮平(ラグビー)プロフィール
- 氏名:山中亮平(やまなか りょうへい)
- 生年月日:1988年6月22日(2019年8月現在 31歳)
- 出身地:大阪府大阪市
- 出身高校:東海大学付属大阪仰星高校(東海大仰星高校)
- 出身大学:早稲田大学
- 身長:188cm
- 体重:93kg
- 所属チーム:神戸製鋼コベルコスティーラーズ
14歳でラグビーを始めた山中選手は、東海大仰星高校3年生で全国制覇。
早稲田大学でも副将として活躍し、大学在学中の2010年には日本代表にも選出。
2011年のラグビーワールドカップの日本代表候補の一人でした。
山中選手は大学卒業後の2011年に神戸製鋼コベルコスティーラーズに入団しますが、入団直後の2011年4月に山中選手のラグビー人生を狂わせる出来事が起きます。
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山中亮平(ラグビー)はドーピング検査で陽性!資格停止処分&退団に
山中亮平選手は神戸製鋼入団直後の2011年4月、ラグビー日本代表の強化合宿中に行われた抜き打ちのドーピング検査でまさかの陽性反応。
同年8月に国際ラグビー評議会が山中選手に対し、ドーピング検査を実施した2011年4月に遡って2年間(2013年4月まで)の選手資格停止処分を決定。
この資格停止処分に伴い、山中選手は4月に入団したばかりの神戸製鋼コベルコスティーラーズを8月9日付で退団することになります。
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山中亮平(ラグビー)ドーピング陽性の原因はあの薬だった!
ところで、山中亮平選手はなぜドーピング検査に引っかかってしまったのでしょうか?
ドーピング検査陽性の原因となった薬は、山中選手がトレードマークのヒゲを伸ばすために使っていた育毛剤の成分だったのです。
山中選手は数年後のインタビューで「本当にあほらしいことをしてしまった」と、当時を振り返っています。
↓山中選手のトレードマークのヒゲ
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ドーピング検査陽性の山中亮平を励まし続けたのは平尾誠二
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ドーピング検査の陽性反応により、2年間の選手資格停止処分を受けた山中亮平選手は、精神的に病みそうになるぐらい追い詰められたと言います。
そんな山中選手を励ましたのが、ラグビー日本代表の主将と監督を務め、当時、神戸製鋼のGM兼総監督だった故・平尾誠二さん。
山中選手は神戸製鋼と社員契約ではなく、プロ契約を結んでいたので、選手資格停止処分に伴い、契約解除で退社となることも覚悟していたそう。
そんな山中選手に平尾さんは「お前は将来のある選手や。まずはしっかり会社で仕事をしろ」と声を掛け、必ずラグビー部に復帰できるようにすると約束したのだと言います。
平尾さんの働きかけがあったのか、山中選手はラグビー部は退部することになったものの、神戸製鋼から社員契約を提案され、総務部の一員として働くことに。
山中選手はラグビー部の施設には出入りできないので、仕事が終わるとジムに向かい、一般客と並んでウェイトトレーニングに励みます。
その後も平尾さんは社内で山中選手に会うと、声をかけたり、食事に誘ったりして、山中選手を支え、山中選手は2013年に神戸製鋼ラグビー部への再入団を果たします。
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平尾誠二には山中亮平(ラグビー)と似た過去が
平尾誠二さんはなぜそこまで山中亮平選手を励まし続けてくれたのでしょうか?
もちろん、大事な神戸製鋼のラグビー部のメンバーだからということもあると思いますが、実は平尾さん自身も、ドーピングではないものの、山中選手と似たような過去があったのです。
#平成元年 5月28日 日本がスコットランドを撃破。
これが”強豪8か国”から挙げた初めての勝利でした。#令和元年 新たな快挙をワールドカップで見たいですね。
令和でも「スポニチラグビー2019」をよろしくお願いします🇯🇵#ハロー令和 #宿澤広朗 #平尾誠二 #RWC2019 #rugbyjp pic.twitter.com/IZkuOeUTUj— スポニチラグビー2019 (@sponichi_r) April 30, 2019
平尾さんは前人未到の大学選手権3連覇を成し遂げた同志社大を卒業後、イギリス留学中の1985年にその容姿を買われてファッション誌にモデルとして登場。
平尾さんに違反の認識はありませんでしたが、当時のアマチュア規定で日本代表を外され、多くの企業からのオファーが消滅したのだと言います。
そんな状況の中、平尾さんに声をかけ続けたのが神戸製鋼の元社長・故・亀高素吉氏だったのだそう。
ラグビー人生の危機に立たされた平尾さんを神戸製鋼が救ってくれたように、平尾さんも神戸製鋼として、山中選手の危機を救ったんですね。
今回、2011年のドーピング事件以来、8年の歳月を経て、ようやくラグビーワールドカップの日本代表メンバーに選ばれた山中選手を見て、平尾さんも天国で喜んでいるでしょうね。
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まとめ
ラグビーの山中亮平選手が2011年にドーピング検査で陽性になった原因の薬は、ヒゲを伸ばすために使用していた育毛剤の成分でした。
国際ラグビー評議会から2年間の選手資格停止処分を言い渡され、入団からわずか4ヵ月で神戸製鋼のラグビー部を退団することになった山中選手を励まし続けたのが、当時、神戸製鋼ラグビー部のGM兼総監督だった平尾誠二さんでした。
平尾さんは、山中選手がドーピング検査に引っかかったのと同じ22歳でイギリス留学していたときに、ファッション誌にモデルとして登場し、当時のアマチュア規定で日本代表を外され、多くの企業からのオファーが消滅。
そんな状況の中、唯一声をかけ続けてくれた神戸製鋼に救われたそうです。
自分と同じような境遇を持つ平尾誠二さんに励まされ、ようやく念願のラグビーワールドカップの日本代表メンバーに選出された山中亮平選手。
平尾さんの思いを胸に、ワールドカップで活躍してくれることを期待しています。